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福井地方裁判所 昭和41年(わ)107号 判決

被告人 望月栄達

主文

被告人は無罪。

理由

第一、公訴事実

本件公訴事実は「被告人は昭和四一年四月二〇日午前一一時すぎころ、福井市大手町五〇一番地福井放送会館五階福井放送株式会社受付出入口において、阿部英夫(当二五年)の左下顎を右手拳で二回殴打し、引きつづき同人の喉を右手で強圧して同人を後方に押していわゆる喉輪攻めにし、また同人の睾丸を右膝で三回蹴り上げる等の暴行を加え、よつて同人に対し安静加療三日間を要する舌咬傷を負わせたものである。」というにある。

右事実によれば、暴行の態様として(イ)左下顎を右手拳で二回殴打したこと、(ロ)喉を右手で強圧し後方におしやる喉輪攻めをしたこと、(ハ)睾丸を右膝で三回蹴り上げたことの三個の行為が掲記されているが、検察官の釈明によれば、傷害の原因となる暴行は左下顎を右手拳で二回殴打した(イ)の点であつて、他の事実はいわゆる犯情として記載したに過ぎないものとされているので、裁判所としては、公訴事実の認定にあたり、単に傷害の原因をなす右(イ)の事実及びその結果発生した傷害の存否を確定すれば足りる訳であるが、本件は福井放送株式会社と同社従業員で構成する福井放送労働組合との長期にわたる労働争議の過程において発生した案件であることは、当事者間に争がないから、被告人の行為態様は、本件の背景や行為目的、加害状況とともに、詳細検討しなければ、全体の正しい評価が得られないので、後述のとおり傷害の原因とならないとされる一連の前記(ロ)・(ハ)の行為の有無及び程度についても併せ考察することにする。

第二、本件発生までの経緯と背景

そこでまず前記争議の発端、本件発生までの経緯等事件の背景につき、順次説明する。

〈証拠省略〉によれば次のような事実を認めることができる。

一、福井放送労働組合は、昭和三九年くれころ福井放送株式会社従業員の賃金実態調査を実施した結果、同業他社の賃金に比べ著しく低く賃金体系すらないことが判明したとして、実年令制に基づく無査定の賃金体系確立を、従前から問題とされていた通勤手当、時間外労働手当の各支給、休日出勤の返上、休憩時間中の自由行動保障その他多数の労働条件改善の要求と併せ掲げ、翌昭和四〇年春闘をめざして資料の収集・整理に奔走していたところ、これを察知した会社は、昭和四〇年春ころから一般組合員に対し組合の脱退を、組合役員に対してはその辞任方を応じないときは、不利益を受けることがある旨ほのめかして慫慂し、あるいは第二組合結成に尽力するなど組合切崩し工作に直接間接の圧力を加え、このため一時は組合離脱者が続出する有様であつた。そればかりか、会社は同年三月二二日ごろ、右圧力に屈つせず委員長を代行し(委員長は会社側に屈つしてすでに辞任していた)当時中心的存在となつて組合活動に専心していた副執行委員長の被告人に対し、本社から汽車で二時間も要する県内最西部の、一人勤務である同社小浜送信所に、執行委員長谷川弘美については、同人が放送記者であるのに同社傍系の福井音楽配給株式会社にそれぞれ配置換えを命じ、組合活動家を分散させることにより事実上その活動を逼塞せしめる挙にでた。

二、組合は急遽臨時大会を開き、右配転命令は不当であるとして断固これを拒否することに決め、命令の撤回と前記賃金体系の確立等諸要求貫徹のため立ちあがり、会社で団体交渉を重ねたところそれが効を奏し、同月二九日の団交で、「会社は右配転命令を無条件で撤回する。組合の団交申入れについては正当な理由がなくして拒絶せず、組合側の出席人数、団交の内容についても制限しない。人事異動に当つては本人の意思を尊重し、不当労働行為にわたる異動はしない。」大要以上の事項が労使間で確認され、ついで同月三一日会社から、「賃金につき実年令制を承認し、標準基本給の施行については組合と協議の上決定する」旨の回答が寄せられ、組合は右確認事項と回答に満足し、ここに燃えかけた紛争の火は、組合側の諸要求がほぼ容れられた形で、一応終熄したかの観を呈した。しかるに、会社は旬日を経ない同年四月四日、突如として右確認事項につき(但し配転命令を撤回した点を除く)、ついで四月一四日には前記賃金に関する回答につき、社長が病気欠勤中なされたもので、これを履行することは会社経営上重大な支障があり、かつ右協約及び回答をなした池田専務に重大な錯誤があつたから無効とするとの理由をもつて全面的に破棄する旨通告してきた。

三、終熄の緒についた紛争はかくして再燃し、組合は破棄通告を承服し難いものとしてさらに団体交渉を重ねたが、会社はあくまで協約、回答の白紙撤回に固執し、これを前提として認めない以上一切の交渉には応じられないとの態度をとり、組合はその不当性を責め、当初の要求実現と協約の履行を強硬に主張して譲らなかつたため、話合は平行線をたどつて遂に決裂した。

この間組合は、オルグ・支援団体の援助のもと、連日正午から一時ないし二時ころまで、団結集会を開き、社屋の内外において労働歌、シユプレヒコールを高唱し、ハチマキ・リボンを帯びたデモ行進により社の内外を騒然と化し、会社・会社職制を非難・誹謗するビラの配布、社屋に対するステツカーの貼布、さらに、時として、職場団交と称する職制のつるしあげや職場離脱行為に走り、また団交の席上には多数ひ組合員、オルグがなだれ込み会社側に罵詈をあびせる等熾烈な反対闘争を展開し、ここに緊迫した容易ならぬ事態を迎えるに至つた。

四、もとより会社側も拱手傍観していた訳ではない。組合の五月上旬から中旬にかけての団交申入れは、団交委員の都合を口実に、ことごとく拒絶したのを皮切りに、同月一六日ころ組合員大多数に対し、職制つるしあげ、職場離脱、社内の秩序紊乱等就業規則違反を理由に自宅待機命令を発するとともに、同日夜から、社屋の出入口にバリケードを築き、保安要員と称する暴力団まがいの傍系土建会社員数十名を社の内外に配置して組合員の社内立入りを監視させ、深夜招集した従業員中会社に恭順しない者はすべて退去させる、いわゆるロツクアウトをかけて組合員の就労を拒み、ついで同月下旬ころには被告人を含む組合活動家数名を解雇し、なおまた組合員を威力業務妨害、名誉毀損、誣告(ロツクアウト中組合が、会社は従業員を社内に監禁し強制労働させているとして労基署等に調査依頼したのが事実に反するとして)の各罪名で告訴するなど、一歩もひかない強硬手段をつぎつぎに講じて対抗した。

このようにして労使間の信頼関係はまさに地を払い、争議は収拾し難い泥沼的破局の様相を呈するに至つた。

五、かような破局的事態の中においても、なお組合は一方で話合いによる解決に希望を託し、くりかえし団体交渉の申入れをしたが、依然として会社はこれに応ぜず、同年五月二六日付の団交申入れに対し何れ会社から連絡するとの回答がなされたのを最後に、その後は遂に団交申入れに対する諾否の回答すら得ることができなかつた。そこで組合は、会社側に団交応諾を求める仮処分を申請し、同年六月二六日福井地方裁判所から「組合が平和的かつ秩序ある方法により真摯な態度をもつてする団体交渉の申入れには、会社は誠意をもつてこれに応じ拒否してはならない」との仮処分決定を得て、爾来本件発生当日まで約一〇ケ月の長期にわたり、多数回の団交申入れを口頭もしくは書面により行つたが、会社は、組合の右申入れは、前記決定に言うところの平和的かつ秩序ある方法によるものでないとして、終始これを峻拒してきた。

六、会社はただ団体交渉を回避したにとどまらず、組合の団交申入れ行為そのものにまで露骨な敵意を示し、たとえば集団で申入れにくる組合員には、理由の如何を問わず一切会見を拒否し、同時に社内の立入りを厳禁する方針のもとに、組合員の姿を認めるや、直ちに唯一の交渉窓口である放送会館五階の自社受付出入口のドア、窓ガラスをしめて錠を施し、カーテンを引いて内部の電燈を消すことによりこれを封鎖し、同社総務局に通ずるブザーを設置して常時迎撃態勢をとり、隠しマイクによる録音や写真撮影により組合側の言動を記録すると言つた手段をもつて、組合員のしめ出しをはかつていた。

七、なお、被告人はこの間の昭和四〇年六月下旬ころ、福井放送労働組合の執行委員長に選任され、以来今日までその地位にある。

第三、本件当日の状況と公訴事実の存否

右に述べたような背景と経緯をみた後、本件当日を迎える訳で、ここに当日の具体的状況を公訴事実との関連で検討しなければならないが、この点に関する各目撃者・事件当事者の供述は、細部において微妙な喰いちがいを示し、殊に被告人の暴行の有無、程度については、検察官側の証人と弁護人側のそれとでは著しく対立している。

しかし、証人阿部英夫、国山哲男、高田信成、林薫、倉内昭二、浜野有三、安藤哲夫ならびに被告人の当公廷における各供述、当裁判所の検証調書、医師倉内昭二作成の診断書、写真三葉(検一一号)、同八葉(弁一号)を併せ考えると、つぎのような事実を認めることができ、この認定に沿わない供述は、その限度で当裁判所の採用しないところである。

一、昭和四一年四月二〇日午前一〇時三〇分ころ、組合は書記長赤尾博治以下十数名で、団交申入れのため、福井市大手町五〇一番地福井放送会館ビル五階の福井放送株式会社の受付出入口前に赴いたところ、これをみた同社の受付職員和田順子が、いきなり内部からドアに鍵をかけ、カーテンを引いて電燈を消し、奥にかくれてしまつたので、右赤尾は大声で団交申入れにきたのだから、鍵などかけずに応待して欲しいと呼びかけ、内部の応答を待ちながら、他の組合員等としばらく受付前で佇立しているうち、一〇時四五分ころ風邪気味のためおくれた被告人一人が、カメラをさげて同所に到着した。丁度そのころから、受付内部では、カーテンを半開きにし、窓ガラスごしに会社職制(総務局課長補佐)の林薫等が外部の組合員にカメラを向け、フラツシユをたきながら写真を撮影しはじめ、被告人も持参したカメラで、逆に右林等の様子を撮影し、他の組合員はそのかたわらで団交申入れにきたのだから取次いで欲しいと口々に要求していたが、内部からは何ひとつ返答がなかつた。

二、本件の被害者とされる阿部英夫は、前記放送会館ビル五階の福井放送株式会社と同一区画構内に受付を共通にして所在し、重役等役員も両社を兼任する、同社のいわゆる系列子会社である福井音楽配給株式会社の営業部員であるが、右阿部は平素上司の白沢取締役(同人は福井放送の事業局長を歴任して当時同社の社長室長も兼ていた)から、福井放送の受付担当者に支障があるときは、音楽配給の社員でその事務を代行するよう指示されていた関係で、たまたま本件当日前記受付職員和田順子不在のあとをついで、その事務を取扱うことになつたものである。

三、ところで同日午前一一時ころ、右受付入口前に同会館ビルの掃除婦二人があらわれ、そこにいあわせた組合員の一人が、受付内部に向い「お客さんだよ」と声をかけたので、中から右阿部がカーテンを少しあけこれを確かめてからドアを開け、掃除婦二人を受付内に招じ入れたが、その際、突然組合員の奥田が右出入口にかけより、しめようとするドアに当るように押しながら、阿部に団交申入れを取次ぐよう要求しはじめたところ、組合員浜野、安藤、さらに被告人と相ついでそこにかけより、奥田と一緒にドアをしめきられないようそれぞれ内側に押しはじめた。この攻勢にあつた阿部は、右手をドアの取手、左手を受付の柱につかまり、入口に仁王立ちとなつて極力ドアをしめようと阻止しているうち、奥から会社側の国山経理課長、高田総務局員、林課長補佐等数名がかけつけ、阿部を援護しその後方から押して防戦しはじめ、ここに会社側と組合側数人づつが、幅一米にもみたない半開きのドア一枚をはさんで、しめるしめさせまいのもみあいとなつた。

四、被告人は最初奥田・浜野・安藤等組合員の背後から押していたが、もみ合つているうち、奥田等の前におしだされ、自然阿部に一番近接した位置に同人と対峙するかたちになり、遂には阿部と腹部から上体にかけ密着し、足は相手の股間に入る程に接着した態勢となつてしまい、なお背後から押されもみあつているうち、被告人は左手を「く」の字に曲げて同人の胸に当て、右手でその左顎を下から二度突きあげ、引き続きその手で同人の顎下を喉輪のようにしてぐいぐい押したため、息苦しくなつた阿部が上半身を後方にのけぞらした。

五、その最中奥田組合員が押し合つている人々の足下を這いくぐり、ドアから受付内部に入り込み、カーテンをひらこうとして受付机上にあつたインク壺を倒したので、阿部を援護していた前記高田・林等は奥田を外に連れだすため一斉に同人の方にかけより、ドアには再び阿部一人が残つて被告人等組合員相手に防戦することになつたが、その間被告人等は、ただドアをしめきられないように押しているのみで、受付内部に殺到するとか阿部に暴力を加える等の挙にでたものはなかつた。一方奥田の排除行為から再びドアに戻つた高田・林等は、かけつけた同社総務局次長伊藤嘉治のかけ声で、一気にドアをしめ切つてしまつたので、被告人等は如何ともし難く全員が間もなく同所からひきあげた。

六、阿部は被告人から左下顎を突きあげられた際受傷している事実を知つたが、最後まで防戦に奔走し、組合員の退去後は自席に戻りしばらく休んでいるうち口中に痛みを感じ、鏡で舌の奥に二ケ所出血しているのを認めたので、すぐに単車で約一粁はなれた岩井病院に赴いて診療を受けたところ、医師から全治三日の舌咬傷と診断され、オラドールと称する殺菌薬錠剤を貰らい受けて帰社し、翌二一日傷害罪で被告人を福井警察署に告訴した。

以上の認定により明らかなとおり、右もみ合いの最中理由はともかくとして、被告人が阿部に対し或程度の有形力を行使し、その結果たとえ軽微であつても傷を負わせた事実は否定すべくもないのである。被告人は阿部と密着していた身体の位置、もみあいの状況からして、物理的にも同人に右のような暴行を加えることはできなかつたと抗争し、被告人側申請証人中その趣旨にそう供述もあるが、前記認定の証拠に照し、たやすく信用できない。

第四、本件傷害罪の成否

さていうまでもなく、たとえ労使間の紛争であつても、いやしくも有形力の行使その他暴力と目される行為が原則として許されないと解すべきことは、労働組合法第一条第二項但し書の規定をまつまでもなく当然のことに属する。従つて、被告人が前記のように阿部に対し或程度有形力をおよぼし軽微ながらも傷を負わせたことについては、その場の事情やかねてからのいきさつがあつたにせよ、なお失当のそしりを免れることができないのであつて、この点被告人も事実を直視し、すなおに反省する必要があろう。

しかしながら、この一事をもつて、直ちに傷害罪の成立を肯定し処罰すべきものかどうかは、極めて問題であり、本件が長期間にわたる深刻で複雑な労働争議の過程において、組合の団体交渉権が存立の基礎まで蹂躪されるかどうかという重大な場において発生した案件であることを十分顧慮しつつ、そのよつてくる背景や経緯、彼我の姿勢、とりわけ被告人の本件行為目的、手段の態様、侵害の方法と被害の程度等を慎重に考察し、憲法第二八条を頂点としこれにつらなる関係労働法規および法秩序全体の趣旨に照らしてその可罰的な違法性の有無を決するのでなくては、到底適正な判断をなし得るものではないものと考える。

右に述べた発想をふんまえ、以下に本件における被告人の行為目的が、侵害された阿部の被害法益に優越するような正当性があつたか、行為手段が社会的に認容できる限度にとどまる相当性があつたか、また被害の結果が被害者にこれを忍受せしめてあやしまない程度に微細であつたか等につき、検討を進めることにする。

一、行為目的の正当性について

「背景と経緯」の項で詳述したところから、或程度明らかとなつたように、本事件発生までの会社組合の双方は、ともに生長発展段階にあるいわば未成熟な労使とも評すべき、幾多の問題点を抱懐していたことは、まぎれもない事実である。とりわけ、会社側にあつては、劣悪な労働条件の強要や、組合切崩し工作に象徴される前近代的な労務対策と抜き難い組合否定観、組合にあつては要求貫徹のためには妥協の余地なき生硬で弾力性に欠ける闘争的姿勢と資本に対するいたずらな敵視がこれであり、なかんずく、労使間の信頼欠如こそは、まさに致命的であつたと言つても過言ではない。各自の立場により自己の正当性を主張する言分もあろうが、それはさておき右のような相互不信こそ、現在までの長期間、労使を泥沼的相克に追いやり、解決をはばんできた大きな原因のひとつといえよう。労使のかたくなな不信と闘争的姿勢を緩和し、妥協と調整をもたらすことは、現実問題として至難に近い業かも知れないが不可能ではないはずである。仮処分などによる裁判所の有権的判断、労働委員会による救済命令、権威ある第三者の調停等の手段も、時により効果的であることは否定しないが、これにより問題の抜本的解決が可能かどうかということになれば、疑問の余地なしとしないだろう。(現に検察官は、組合は労働委員会に申請し、違反に対しては場合により刑罰の制裁ある救済命令を受けるべきであつたと主張するが、なるほど救済命令を得ることがのぞましかつたとしても裁判所の仮処分すら無視され、事態が一向に改善されていない現状に照らすと、何程の効果が期待できようか。)結局平凡ながら、最後に残された唯一の方法は、苦難にみちたいばらの道ではあつても労使が話合を積み重ねて理解を深める団体交渉以外に正道はないのである。卑俗なたとえながら、夫婦喧嘩の当事者が和解する最後のきつかけは何かを想起すれば思い半ばに過ぎよう。生活権ないし生存権を問われている労働者にとつて、団体交渉のもつ切実な意味合いは、夫婦喧嘩のそれのようにしかく単純にして安易なものではあるまい。憲法第二八条が労働者に団結権その他の諸権利とともに団体交渉権を保障し、これを受けた労働関係法規が詳細に具体的諸規定を設けたのも、労働者の基本的地位を向上しその利益を擁護するためには、資本と対等で交渉することが、必要にして欠くべからざる権利であるとするからにほかならない。労働者の団交申入れに対しては、特別の事情がない限り使用者はこれを拒否することができないとされるゆえんはまさにこの点にある。まことに団交の道をとざされた労働者は翼をもがれた小鳥にも等しい。その落ち行く先は好むと好まざるとにかかわらず実力による無秩序と混乱という反法手段であることはみやすい道理であつて、このような手段を許してならないこともまた自明である。それでは団体交渉をめぐり本件労使が示した態度と姿勢はどうであつたか、さらに補足して説明しよう。

(1)  組合が昭和四〇年三月の春闘に当り、会社に迫つた不当配転の撤回、人事移動ならびに団体交渉に関する保障、実年令制に基づく賃金体系の樹立その他の諸要求は、ひとつには会社のとつた組合切崩しという不当労働行為に対する反撥であり、他方は待遇向上をめざす労働条件の改善要求であり、いづれも組合活動として当然すぎる普通の事項である。しかるが故に、会社は正当にも同月下旬の団交および回答書をもつて、組合の諸要求をすべて受容れたのである。そして、賃金に関する回答はさておき、団交で合意に達し確認されたその余の事項は、書面に作成され労使代表の記名押印がなされたことから考えると、右合意はまさに労組法第一四条にいう労働協約であると解すべきであり、なおまた合意の内容自体に徴し、右協約には労働法上のいわゆる規範的効力を認めざるを得ないから、会社としては特段の事情がない限り誠実にこれを履行する義務を負うものといわなければならない。

(2)  それにもかかわらず、会社は右協約締結から近々一乃至二週間の短期間内に、掌をひるがえすようにしてこれら協約ならびに回答を(以下では便宜上協約と回答を含めて協約と呼ぶ)予告期間もおかずに破棄して組合の利益を一方的に踏みにじり、もつて束の間のぬかよろこびに終らせたのである。会社は協約を破棄した理由として、これを履行するにおいては会社経営上重大な支障をきたすとか、これを締結した団交委員の池田専務に錯誤があつたとか主張している。けれども、一旦有効に労働協約を締結した以上、労使ともこれに拘束されることは協約の性質上当然であり、たとえそのため後日、経営上の支障を受けようがはたまた著しい不利益を蒙ろうが、自から招いた責任として自からの手で解決すべき事柄であつて、いやしくも相手方組合の不利益において、ことを処理するなどという不条理の許されないことは多言を要しない。錯誤の点についてみても、一体労働協約に民法上の錯誤理論を導入する余地があるか否かはなはだ疑問であるのみならず、そもそも池田専務に如何なる錯誤があつたというのか、組合側に十分納得できる説明をしたと思われる形跡は全くなく、当裁判所にも不明というほかないのである。ともあれ、他に首肯するに足りる特段の事情が認められない本件では協約破棄の根拠として会社のあげる主張は、何人も承服しがたい身勝手な言分と評さざるを得ないのであつて、これが現代企業の最先端をゆくマスコミ産業なかんずくテレビ事業の経営者によつてなされ、しかも当然のこととしてあやしまないその時代錯誤的感覚には、驚きを禁じ得ない次第である。要するに会社の協約破棄は、労働者に対する重大なる背信行為であり、紛争の拡大紛糾化とぬきさしならぬ事態を、招いた直接の原因は、あげてこの一点に帰すると断じてはげからない。

(3)  組合が会社の協約破棄に接して硬化し、闘争を盛りあげ、各種の抗議行動にでたのは、けだしやむを得なかつたというべきであろう。しかし如何に争議手段とはいえ、社内での労働歌、シユプレヒコールの高唱やデモ行進、会社職制を名ざしで誹謗するビラ・ステツカーの配貼布、職場離脱による秩序紊乱の各行為、さらには右行為により同会館ビル内に多数同居する他の一般商社店におよぼした営業妨害等は、明らかに正当な示威ないしは抗議行動の限界を逸脱した行き過ぎであつて、オルグ、支援団体の影響も免れないし、また或程度争議に伴う不可避的現象であつたとしても、なお遺憾なことというべく、この点組合にも深甚な反省が必要である。けれども仔細に観察すれば、右のような行き過ぎや暴走は、会社のいわれない協約破棄に接しながら、なお話合いによる解決を希み、連日のように行つた団交要求がすべて拒絶され、加えて自宅待機命令、ロツクアウト、解雇と順次拡大した会社側一連の強硬手段に直面した組合が、これとパラレルの対抗策として主として破棄通告から解雇までの間なしたぎりぎりの抵抗手段であつたことも窺知するに難くないので、前記逸脱行為も会社側のとつた手段との関連で考えるとき、もはや組合ひとりを非難するのは如何にも片手落ちの感を免れないのである。

(4)  このようにして自己の背信行為を棚にあげ、協約破棄以来累次にわたる団交要求も、団交委員の都合がつかないという理由にならぬ理由をもつてすべて拒否し、昭和四〇年五月二六日付の絶縁状的回答を最後に、組合の切実な要望と裁判所の団交再会仮処分に背を向け、本件当日まで全く遷延してかえりみなかつた経過、会社唯一の交渉窓口である会館五階の同社受付出入口に、組合員の入来にそなえ、あらかじめブザー、マイクを設置し、組合員をみれば即座に入口ドア・窓ガラスをしめて施錠し、かつカーテンを引いて内部の電燈を消すなどし、頭から組合員を押し売りや寄付強要の無法者と同視した問答無用式警戒ぶり、このような会社側態度を通観するとき、そこには労働者のもつ労働法上の諸権利について正当な理解を欠き、団体交渉権はおろか組合の存立自体まで否定する意識を明瞭によみとることができよう。なるほど、団交拒否の理由として会社側がしきりに強調するとおり、組合は団交申入れに十数名の集団でおもむき、時として、喧噪にわたり、受付女子職員に多少の威圧感を与え、応待にでた会社職制を愚弄したり感情のおもむくままあしざまにののしる等冷静さを欠いた言動のあつたことは、証拠上認められなくはないとしても、そしてそれがため組合の団交申入れ方法が、平和的でないとか、いやがらせがあつたとのそしりを甘受すべきものとしても、かような事実は、紛糾を重ねた労使間が破綻にひんした後の団交申入れの方法に関する、しかも場合によつて惹起したにすぎないところの、団交拒否の理由としてはとるに足りない非違である。もし真実、会社に事態収拾の意思があるなら、なにはさておいてもまず団交に応ずべきではなかつたか、団交にも応ぜず、ただいたずらに組合の些末的非違をあげつらうのみでは、もはや団交によつて紛争を解決しようとする意欲の片鱗だに持ちあわせない会社が、団交拒否の責任を組合に転嫁せんがための、単なる遁辞に過ぎないといわても反論の余地がないであろう。

これを要するに、会社は協約破棄以来本件当日まで、仮処分の存否およびその内容にかかわりなく、組合の団体交渉権を不当に侵害し続けてきたことは蔽うことのできない事実であり、被告人等組合が侵害された権利の回復を要求する正当な目的をもつてその申入れ行為の渦中で、当の相手方である会社側の一員に軽微な法益侵害を負わせたとしても、被告人の目的とした正当な利益は、可能な限り尊重し実現させなければならない現実的要請の前に、侵害された法益も一歩譲らざるを得ないものと解すべきである。

二、行為手段の相当性について

事件当日の具体的状況については、すでに詳細認定したところであるが、さらに以下若干の付随的事情を指摘し、被告人のとつた行為手段、態様が社会的に認容し難い程度のものであつたかどうかにつき考察する。前掲各証拠によれば

(1)  組合員は受付で口々に、団交申入れにきたのだから取次いで欲しいと要求しているのに、阿部その他会社側の者は上司の指示(白沢・伊藤証言によると、会社は予め受付担当者に、組合からの団交申入れについては、受付けることだけはするよう指示していたことが認められる。)に反し、遮二無二ドアをしめることのみに奔走して、受付としては誰一人適切な応答や取次ぎをしなかつたこと

(2)  被害者阿部は、福井放送とは一応別会社の福井音楽配給株式会社の一社員であるが、さきにみたように両社の所在場所、経営陣は同一で、ただ一ケ所しかない受付出入口の本務まで随時両社員によつてなされているような、別会社とは形だけの内容的には福井放送の一部門的な実態しか具えていない系列子会社であると認められることからして、阿部は第三者ではなく全く福井放送側の一員と目することが許されること

(3)  被告人等は双方の人数からみて絶対優勢にあり、機会もあつたのに、奥田組合員を除き敢えて受付内部に乱入し、あるいは播居するといつた粗暴行為に走ることなく、あくまでドアをしめられてはとりつくしまなしとして、極力しめられないよう押していただけのそれ自体団交申入れ目的の正当な限度を逸脱した行為には走らなかつたこと

(4)  双方とも互に密着し、もみあつている最中の出来事であるから、身体の一部が相手方にふれたり、当つたりすることのあることは、状況の成行上或程度避けられない偶然性の結果であり、しかも被告人の行為には特に意図的、悪意的であつた点は認められないこと

(5)  暴行を受けた阿部は、その場でこれをはらいのけたり、痛みを訴えたり、背後の同僚に助けを求める等受傷者としては通常するはずの言動は何一つしておらず、かつ被告人は左ききであつたことなどからおすと、被告人の加えた有形力は格別強力なものではなく、阿部の受けた衝激性は比絞的軽度であつたと考えられること(公訴事実には阿部の左下顎を右手拳で二回殴打したとあるが、阿部は下から二度突きあげられたと供述し、目撃者林はアツパーカツト気味に押しあげたと供述し、ともに殴打したという表現をしていない。)

(6)  阿部は睾丸をひざで二回突きあげられて激痛を覚え、翌目一杯痛みがとれなかつたと供述する(他にこの目撃者はいない)が、腹部と腹部が密着し、足が相手方の股間に入るような体勢でもみあつていた状況からみて、被告人が、その最中ひざでさような突きあげをすることが可能であつたかどうか、なおまた事件直後阿部は約一粁はなれた病院まで、単車で往復した事実を考慮するとき、患部が睾丸であるだけに、かなり疑問の余地があること

(7)  被告人等のもみあつていた時間は、せいぜい一〇分前後で、その行為や騒ぎにより、公共的事業である会社のテレビ、ラジオ放送業務に支障を与えた事実はなかつたこと、受付ドアがしめられた後は、直ちに被告人等組合員全員が、平穏に受付前から退出したこと

等の諸事情を認めることができる。

右の事情から窺がわれる被告人の本件行為手段・態様は、全体として、社会生活上認容することができない程度の粗暴性、意図性ないしは計画性はもとよりのこと、健全な常識人のひんしゆくを買うような反常規性も認め難いこと、つまり相当性の限界を逸脱したものとはいえないことが、ほぼ明らかにされたといえよう。

三、被害程度の軽微性について

被害者阿部の受傷程度については前に認定したが、これに補足して若干説明すれば

(1)  阿部は当日医師の診療を受けた際殺菌薬の錠剤を投与されたが他に格別の手当は受けておらず、翌日以降一度も通院したことがなかつたこと、なお医師の証言によれば、本件舌咬傷は、一般的には、食事中まちがつて舌を咬んだ場合にもできる程度のものであつたこと。

(2)  阿部は医師の診療を受け帰社してから、当日も含め平常通り勤務を続け、本件受傷により、日常生活や会社の執務上特に支障を受けなかつたこと。

等の諸事情も証拠上明らかである。

これによつてみれば、阿部の受けた舌咬傷は、全治三日間と言つても、食事中誤つて舌を咬んだ場合にもできる、普通は放置して特に医師の診療など受けないですむような、日常生活や会社執務にほとんど支障をきたさない程度の、極めて軽少微細なものであつたことが窺い知られるのである。

第五、結論

以上説示したように、本件発生までの背景と当日の具体的状況をつぶさに検討するとき、被告人の行為目的には、紛糾を重ぬる労使の諸問題を解決するため、団体交渉を実現すべく行動したところの正当な意図が認められ、その手段・態様において、社会通念上容認される限界を明らかに逸出したような刺戟的計画的ないしは粗暴的な反常軌性はなく、被害の程度も極めて軽微であるから、単純にその外形的事実をとらえ、刑法上の傷害罪を適用して処罰することは、いかにも形式的・皮相的であるといわなければならない。むしろ、憲法第二八条の趣旨および法秩序全体の精神に照らし、本件行為は全体として、刑法第二〇四条の予想する実質的な違法性が、可罰的な程度に達しないほど微弱であるとして、被告人に対し、その刑事責任を否定するのが相当である。

右の次第で、本件公訴事実は、結局犯罪の証明がないから、刑事訴訟法第三三六条に従がい、被告人に対し無罪の言渡しをする。

(裁判官 中野武男)

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